自然に習得なんて甘いことを言っていたら子供が日本語を話せなくなる 海外生活

子供に日本語を教えることは、海外に住む日本人にとって一つの課題となっているのは間違いないとは思うのですが、それは義務かと言われると、必ずしもそうではないと思っています。とはいえ、やはり自分の子供には日本語が話せるようになってほしいと考えるのも事実で、いかにして自分の子供に日本語を教えるのかということについては、よく考えていかなければいけない問題だと思っています。

子供に日本語を教える方法

ここで言う子供に日本語を教える方法というのは、直接法や間接法の話ではなく、より具体的に、過去に賢人たちが積み上げてきた経験、理論をもとに考えうる、論理的な教え方の話です。

賢人たちの英知が詰まったものと言えば、教科書がありますが、その教科書も様々な種類があり、個人的に日本語を教えるということを始めたばかりの場合は、日本語学校などで使われる教科書が良いのではないか、と考えます。というのも、私のような日本語を教えるという経験が少ない、もしくはないという人にとって、そもそも教科書選びが一つの難関だからです。その点、日本語学校が採用している教科書というのは、経験豊富な方たちが良いと判断して採用していると考えられるため、膨大な教科書の中から素人判断で教科書を選定するよりも余程良い選択だと考えられるからです。

ありがたいことに我が家には「みんなの日本語」「できる日本語」「文化初級日本語」の教科書があります。あるのはすべて中級以下の教科書ですが、まずはそれらを使うというのが良いだろうと考えています。

ただの日本人は日本語を教えられない

以前にも書いた通り、日本人であることと日本語を教えられることは必ずしもイコールではないと考えています。それは文法など、外国人向けに論理的に説明するということは、特殊技能であり、それは自ら学んだことがない限り、自然に身につくものではないと考えるからです。これは以前にも書きました。

何もしなくても子供の日本語は上達するのか

日本語を教える対象によって、その教え方は異なると思います。その大きな判断材料となるのが、子供の場合は座学ができるか否かということです。座学ができないと教科書に沿って教えるということが難しくなります。

では幼児などの座学が困難な対象に日本語を教えるにはどうすれば良いかと言うことになりますが、この場合は先ほどのように日本語学校で使われるような教科書を採用するということではなく、生活の中で、会話の中で教えていくということが良いのではないかと考えています。なぜなら、幼児の言語習得能力が高いことは一般的に知られていて、身の回りにあるものの名前、簡単な行動を言葉で表明することなどは、生活のあらゆる場面で周りの大人や兄弟姉妹などの使う言葉から覚えていくからです。とはいえ、その頻度が少なければ当然その言語の発達は遅くなります。この他人が使う日本語に触れる頻度というのは、座学ができる場合も多いに越したことはありません。

日本にいる場合、親、親戚、友達、兄弟姉妹など、ほとんどの人が日本語を使って生活をしているため、日本語に触れる機会も非常に多いと考えられます。しかしながら、海外生活を送る者にとって、日本語に触れる機会と言うのは、ドラマやテレビなどのメディアを除けば、親が日本人であるか、日本人コミュニティーなどの中で日本人と会うぐらいしかありません。そうなるとその接触率の低さから、どうしてもその言語の習得に時間がかかったり不完全になったりしてしまうのです。

国際結婚をした方の場合、一緒にいる時間が長い親の使う言語の習得の方が有利で、周りを見渡すとそれは母親の言語であることが多いです。そのため、例えばアメリカ人女性と日本人男性が結婚し、アメリカに住む場合、環境も英語、母親も英語となり、子供が日本語を習得するには父親の努力が欠かせなくなります。これがアメリカ人男性と日本人女性の結婚で、アメリカ生活だったり、日本人男性と日本人女性の結婚で、アメリカに移住したようなケースだとまた話は違うのかなと考えています。現に、少なくとも私の周りでは母親が日本人のケースでは、子供が比較的流暢に日本語を使っているように思います。

継続することの重要性

さて、日本語を子供に教えようということですが、日本語に限らず、言語を教えるという行為は、継続が非常に大事だと考えています。それは先ほど書いた接触率とも関係があるのですが、何度も同じ単語や文型に触れることで、記憶が定着していくと考えられるからです。

そのため、親がやるべきことは、日ごろから多く子供と話す機会を設けることはもとより、座学が可能な子供の場合はしっかりと教科書に沿って日本語を教えていくことです。

最後に

我が家の子供の場合、日本語が一応は話せるものの、助詞の使い方やアクセントなど、様々な点で日本人とは言い難い状況です。これは自分にも責任があると感じております。これを今後修正したり、より自然に日本語が操れるようにしたいと考えています。それは私の希望でもあり、かつ、子供の将来にとっても役に立つ時が来るのではないかと考えています。