子供のころのバイリンガル教育は耳と口優先

外国の方と話すと新しい発見があります。今日は台湾在住でアメリカ出身の方と子供の言語教育についてお話をしました。

日本にいたころ、周りに外国人はそれほど多くなく、しいて言うならば中学校や高校のAETの先生はカナダやアメリカ出身だったなぁという記憶があるぐらいです。

大人になってから外国人と出会うケースもなかったわけではありませんが、それこそコンビニの店員さんが外国人だったというケースが最も多く、普通に知り合って挨拶してという過程を経るような出会いはほとんどありませんでした。

余談ではありますが、いつだったか日本へ帰国した際にコンビニで外国人の店員さんに英語で話しかけられたのはビビりました。もしかしてここは二ホンという名の他の国では?なんてことは思いませんでしたが、そこまで国際化が進んでいるとは、と驚きを隠せませんでした。

脱線しましたが、結局のところ外国語を習得するにはその言語と接触しなければなりません。

子供のころの言語刺激は中学生ぐらいになってから花開く

子供のころのバイリンガル教育については賛否両論あろうかと思いますが、我が家の場合、妻は中国語を話しますが、私は中国語が上手に話せないので必然的に日本語となり、妻(および台湾の環境による)中国語と私の日本語のバイリンガル環境になっています。

子供も小さな時から区別出来ていて、相手によって使う言葉を使い分けています。かといって日本語が完璧かと言えばそうではありません。やはり日本にいる子供のようにはいきません。

さらに去年、恐れていた事態が発生して焦りましたが、それは、学校の国語(台湾の国語、つまり中国語に相当)のテストで子供が非常に悪い点数を取ったのです。噂には聞いていたのですが、バイリンガル教育は母語の発達に影響を与えるらしいのです。しかもそれは悪い方向に。

実際に中国語の点数が悪く、一時は悩みましたが、本日話したアメリカ出身の方いわく、子供のころのバイリンガル教育は中学生以降になって大いに花開くとのこと。小さなころに積み重ねてきたものが脳の発達にとって大きなアドバンテージになるのだとか。論拠はわからないのですが、少なくとも私はそれを聞いて多少は安心してもいいのかなと感じました。

子供のころの言語記憶は呼び起こされる

子供のころ外国に住んでいてその国の言葉を使っていたけど日本に帰国して全部忘れてしまった、という方も日本には多いと思います。それって非常に残念なことだなぁとは思うのですが、それぞれいろんな事情があって帰国されていたのだろうと思います。

よく8歳前後まで現地にいれば帰国してもその国の言葉を覚えていると言われます。ただその年齢については中学生ぐらいでも大丈夫だと言う方もいます。私はというと、中学生ぐらいに日本に帰れば、現地の言葉もかなり話せるし、日本語もほぼ完ぺきになるだろうと思います。高校になってしまうと少し遅いです。語彙の少なさは大人になってもカバーできないことがあります。大学になると発音の矯正すら難しくなります。逆に8歳だと現地の言葉の語彙が少ない可能性もあります。当然社会で議論できるレベルではありません。

それで、8歳以下で帰国し、現地の言葉を忘れてしまったケースについてですが、そのアメリカ出身の方の子供がまさにそういう状況で、中国語を忘れてしまったのだとか。ところが12歳ぐらいで台湾に来たらまたきれいな中国語を使えるようになったのだとか。特に発音面で。

これは私の考察ですが、子供のころに受けた外国語の刺激って、おそらくは語感というか、アクセントというかイントネーションというか、現地の人々と同じような発話の仕組みが口で作れることであるとか(つまり発音が上手)、聞くこと(リスニング)が強いとか、そんなことにアドバンテージがあるのではないのかと思います。語彙や文法に関してはそれほどメリットはないのではないかと。逆を言えば、語彙を増やし、正しい文法を覚え、よくあるフレーズをたくさん覚えたらかなりネイティブに近いレベルで話せるようになるのではないかと。そしてその能力は子供のころしか習得できないとか。

たくさん聞かせ、たくさん話させることが大事

そう考えると、やはりとにかくたくさん聞かせること、そしてあわよくば子供たちにも日本語で話させることが非常に大事な気がします。そして、語彙を増やし、文法を覚えることも考えていかなければなりません。

我が家には一応ベネッセの通信教育教材がいくらかあるので、それを再度見返してみるのも役に立つような気がします。

大人になってからの外国語習得は困難を極める

ちなみに私もそのアメリカ出身の方も同意見だったのは、大人になってからの外国語習得は非常に困難であるということ。もう、私もその方も中国語が難しくて!

そんな風にならないように自分の子供にはしっかり教えていく必要があります。

最後に

いつもいつも子供に日本語を教える時間を設けたいと思いながらも、なかなか時間が取れていません。時間の使い方をまた考えなければなりません。